批判的実在論(Critical Realism)とはイギリスの哲学者ロイ・バスカー(Roy Bhaskar 1944−2014)が提唱した社会科学論です。
卑近な例で恐縮ですが、アメリカのテレビ番組、『ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則』(原題:The Big Bang Theory)の中で、主役の一人、物理学者シェルドン(アスペルガー症候群的性格として描かれている)は、社会学をはじめとするいわゆる社会科学系学問を、「科学でもなんでもない!」と度々バカにします。
社会科学は、社会学、法学、政治学、経済学など、社会を対象にした学問の総称です。
自然科学から見て、社会科学が「科学らしく」見えないのは、どうしてなのでしょうか。そもそも「科学」とは何なのでしょうか。公約数としてすぐ浮かぶ答えとしては、観測したデータに基づいている、検証可能などが挙げられます。このような例をあげる時、意識しているか否かは別として、私たちは、実証主義の考え方に寄って立っています。
実証主義の考え方を簡単にまとめると以下のようになります。
この世界は事実によってできている → 事実は観察できる(観察者は価値から中立にデータを集められる)→理論や仮説はデータによって検証、実証できる
実証主義は、思弁や推論によって学問を行っていた中世から、啓蒙の時代への革命的転換でした。
これに対して、1950年代以降、アメリカ社会学では、解釈主義が台頭します(歴史的な流れは、伊勢田 2004を参照)。解釈主義では、世界は私たちの解釈や言説によってできていると考えます。考え方を簡単にまとめると以下のようになります。
この世界は人々の解釈によってできている → 事実はその人の解釈によって多様でありうる(調査者と調査対象者は相互に影響しあうので、価値中立はありえない)→ インタビューや観察で集めたデータから人々の解釈や実践を理解できる
この考え方に基づいた社会構成(構築)主義は社会学の大きな潮流になりました。
ぱっと見てもわかるように、実証主義と解釈主義の考え方は、もともと世界の成り立ちについて全然別の見方をしているので、いつまで話しても議論がかみ合いません。では、永遠に理解し合えず、科学は二分化したままでいいのでしょうか。
やっとここでバスカー(Bhaskar)に戻りますが、超のつく天才だったバスカー(梶原の個人的見解)は1970年代に、実証主義と解釈主義の対立を超える、世界の見方(認識論)を提示します。バスカー(Bhaskar)の批判的実在論は、近年社会学で大いに重用されてきた解釈主義に基づく社会構成主義やポスト・モダニズムなどの、行きすぎた主観主義的、相対主義的世界の捉え方に異議を申し立てます。また同時に、客観的に観察できる出来事のみが知識の源泉になりうるというような単純な実証主義にも異を唱えるものです。
では、批判的実在論では、世界はどのようなものだと考えるのでしょうか。この世界は3つのドメイン(領域)で成り立っている——これこそがバスカー(Bhaskar)の批判的実在論の最も重要な世界の捉え方です。
実在(Reality)の3つのドメイン(領域)
(原文では、「Reality」とあるので、「実在」を「現実」とわかりやすく言い換えてもいいかもしれませんが、Critical Realismを批判的実在論と訳すこととの整合性と、日本で出版されている訳書が「実在の3つのドメイン」を定訳としているので、ここでも「実在」とします。)
経験的ドメイン(empirical domain) 人々が経験する世界
アクチュアルドメイン(actual domain) 現実的事物または出来事の領域
実在的ドメイン(real domain) 出来事を生み出す構造とメカニズム
批判的実在論の世界の捉え方(認識論)に立てば、この世界は、上記の3つのドメインが相互に影響しあい成り立っています。
私たちはいろいろな出来事を経験します。そして調査者は、その出来事を経験している人を観察したりして、解釈しますが、実際には人々が経験しない出来事も、そのまわりで起きています。そして、人々の経験と、そのまわりの出来事を引き起こしている構造とメカニズムが、存在しています。
批判的実在論は、出来事を生み出す、歴史的、構造的メカニズムを明らかにすることを目的とします。社会科学においては、同じ状況を実験室の中のように再度作ることはできません。現実の社会は開放システムであるので、理論から予測を立て、予測の実現をテストしたり、同じ条件で検証することはできないのです。
批判的実在論では、社会科学は予測可能性で評価されるのではなく、その説明力で評価されるべきであると主張し、「説明的社会科学」(explanatory social science)を提唱します。
批判的実在論の、ほんの入り口を紹介しました。本当の面白さはまだまだこれからです。
さらに詳しく知りたい方は
Bhaskar, Roy. (1997). A realist theory of science. London ; New York: Verso. First published
1975. Leeds: Leeds Books.( = 2009 式部信 訳『科学と実在論 : 超越論的実在論と経験主義批
判』 叢書・ウニベルシタス 東京:法政大学出版局)
——. (1998). The possibility of naturalism : A philosophical critique of the contemporary human
sciences (3rd ed.). New York: Routledge. First published 1979. Hemel Hempstead: Harvester Press Ltd.( = 2006式部信 訳『自然主義の可能性 : 現代社会科学批判』 京都:晃洋
書房)
Danermark, Berth., Ekstrom, Mats., & Jakobsen, Liselotte. (2002). Explaining society: An
introduction to critical realism in the social sciences. London: Routledge.( =2015 佐藤春吉
訳『社会を説明する : 批判的実在論による社会科学論』京都:ナカニシヤ出版
Sayer, Andrew. (2002). Method in social science: A realist approach. London: Routledge.( =2019 佐藤春吉監訳 『社会科学の方法―実在論的アプローチ』ナカニシヤ出版』 京都:ナカニシヤ出版
批判的実在論以外の参考文献
伊勢田哲治(2004) 『認識論を社会化する』 名古屋:名古屋大学出版会
野家啓一(2001) 「「実証主義」 の興亡」『理論と方法』16(1), 3-17.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/16/1/16_3/_pdf